「面倒見が良い」に要注意

塾の宣伝文句にはよく「手厚い指導!」や「面倒見の良さNo.1」みたいなことがよく書いてあります。
ここでいう、手厚さや面倒見とはなんでしょうか?
例えば目の前に数学が苦手な中2の生徒がいるとします。
何とかできるようにと手取り足取り教えます。
「この問題はまずここをこうして…」
「次にこの部分を見てそれから…」
「そこはそうじゃなくてこうやって…」
「ここ間違ってるからこっちをこういうふうに…」
一見このような指導はまさに面倒見がいいかもしれません。
生徒本人も保護者の方も満足してくれる指導かもしれません。
でも私ならこのような指導はいたしません。
ではどうするのか?
「放置」です。
…いえ、もちろん完全放置ではありませんよ。
勉強の手順を指示して、対処法や対応策を一つずつ教えます。
例えるなら、木の実を取って与えるのではなく、木の実の取り方を教えます。
勉強は自分で進められるようにならなければいつまでもつらい作業です。
ちょっと時間はかかるもしれませんが、勉強の自走ができるような形を目指します。
当然ながら、その過程で何度もつまずく生徒が現れます。
誰もがすぐに何でも習得できるわけではありません。
そんなとき、私はどこまでも付き合います。
何度でも合格するまで確認テストをしますし、夜遅くや授業がない日でも補習をしましょう。
勉強が得意な生徒だってそれだけ高い壁にぶち当たりますし、悩みもあります。
そんなときも、何度でも答案添削しますし、類似問題を何問でも探して一緒に解きます。
私が考える「面倒見」はこういう形です。