合格の感覚
勉強は一定の実力がつくと自分で自分の仕上がり具合がわかるようになります。
例えば、確認テストを受けるタイミングでの自分が合格できるかどうかの「合格の感覚」です。
ウチは自己申告で追試を受ける仕組みですが、自己申告ということは自分で自分の完成度がわからないといけません。
しかし、勉強が極端に苦手なうちはこの自分の仕上がり具合も自分では把握できません。
理由はさまざまですが、自分で「できる」の形が曖昧で、根拠に乏しいだからです。
通常は自分で間違えた問題を解き直し、類題を解いたりして、実際にできたら「できる」と判断します。
覚えていなかった単語を何度も赤シートをかざして、自分で言える、書けるとなれば「覚えた」です。
テストを受けるとき、この過程の精度が低ければ低いほど合格する可能性が薄いわけですが、この感覚を自分で培うことが重要です。
驚きですが、これらの過程を一切経ていないのに追試を受ける生徒が現れます。
そして当然のごとく不合格になります。
あまりに出来がよくないので、上記のような過程を経たのか確認すると「していません」と答え、
「どうやって合格できると判断したの?」と聞くと、「合格すると思ったからです」と謎の自信で答えます。
自信はいいのですが、少なくとも努力や工夫に裏打ちされた自信でなければ結果は伴いません。
この自分の「合格できる」手応えと、実際に「合格した」事実が噛み合ってきたら、
実力がワンランク向上したと思って大丈夫です。
