手厚い指導の真意③

(2)教え過ぎる授業の弊害
丁寧な指導=懇切丁寧な授業と考えるのには疑問があります。
一般的にはわかるまで寄り添って懇切丁寧に教えてくれる塾や先生は良い塾、良い先生と考えられています。
それだけの熱心さや気持ちが伝わりやすいからだと思いますが、
ちょっと冷静に考えてみてください。
生徒が自分自身の実力で成績を上げるためには、
必ずどこかで自分の能力の限界に挑み、
自分の頭脳をフルに使い、考え、鍛え上げていくことで達成されなければいけません。
たしかに、
目の前の生徒が中2だとして、
中1の内容も怪しい状況ならば最初は二人三脚で一つ一つ手取り足取り教えます。
勉強の仕方なら丁寧にノートの隅々まで確認して、
授業中の座っている姿勢から教え込みます。
しかし、
それをいつまでも続けていると生徒の将来の伸びしろを損ねかねません。
赤ん坊が自ら危険を冒しながらも
いろいろなものを触り、
さまざまな行動に出るのは、
多くのことに興味を持ち学びたいためだと言われています。
小学生や中学生、高校生だって同じです。
最低限のツールやノウハウを授けたら、
どこかで彼ら自身に挑戦してもらわなければいけません。
そんな機会が必要であり、
指導者はそんな機会をあえて作らなければいけないと思います。
私の師匠は、
「生徒をいつまでも教え過ぎる行為は生徒をスポイル(台無しに)する。」
とおっしゃっていました。
1から10まで何でも教え込めばテストの点数アップには近道かもしれません。
しかし、
頭打ちも早い段階で訪れます。
本当に大事なのは、
生徒が自分の足で立ち、歩むこと。
壁にぶつかったとき、
自分でどんな勉強をすればいいか、
どんな風に解決方法を模索すればいいか、
そんなことを自分で考えられるようになるためのヒントを提示する。
そんな行為だと信じています。
これは簡単ではありませんし、
時には心を鬼にして叱咤する必要もある。
時には目先のテストをあえて通り過ぎ、
生徒の成長をじっと「待つ」こともする。
途方もなく「懇切丁寧な指導」です。
でもこれをすべての生徒に実現したい。
日々研鑽の日々です。
(次回へ続く)