塾選びは先生選び
塾を選ぶ基準とは?
みなさんはどのような基準で学習塾を選んでいますか?
とある教育機関によると、最も多い塾選びの基準は「家から近いこと」らしいです。
たしかに、実生活の面から考えればとても重要なことです。塾への送り迎えは親御さんにとって大変です。子供が徒歩や自転車で通えれば、ご家庭としても安心です。実際に自分で通えるかどうかを考える点は、高校や大学の志望校を考える点と似ているかもしれません。
他には「授業料がどれくらいかかるのか?」や「通っている塾生の成績はどうか?」、「合格実績はどうか?」、「教室の雰囲気はどうか?」を考えることが多いでしょう。
しかし、ちょっと待ってください。
できればここに、今後はぜひとも「先生はどんな人か?」を入れていただきたいです。
先生の影響力
2020年の最大のヒット作品である、漫画「鬼滅の刃」では、強き剣士を育てる「育手」という師匠が何人か登場します。
主人公を含み、この育手の存在はストーリーの中でキャラクターたちの成長に大きく関わります。
私の世代なら、漫画「スラムダンク」の安西先生とか「ドラゴンボール」の亀仙人でしょうか。自分の師匠でもないのに必死にかめはめ波を練習した人は多いと思います。子供の頃は思いませんでしたが、あれだけ自由奔放で破天荒な教え子たちが、意外にも先生や師匠の教えには素直に耳を傾けるのです。
(安西先生のアドバイスを忠実に守る桜木花道)
現実世界でも、小中学生をはじめとして、高校生くらいまでに「何を教わるか」よりも「誰(どんな先生)から教わるか」は多感な子供たちにとって非常に重要な要素です。
みなさんも経験があるのではないでしょうか?
「数学の先生は好きだけど、英語の先生は嫌いだから、数学を勉強しよう♪」みたいなことです。
いつまでも好き嫌いで選択していてはいけませんが、子供たちにとって好き嫌いの感情は大きなポイントです。憧れの先生や尊敬できる先生との出会いは、子供たちの人生を左右するきっかけになると言っても過言ではありません。
優しさ vs 厳しさ
近年、多くの塾が「褒める」指導を推奨しています。塾内の研修では、たとえ遅刻や忘れ物をしても、宿題がやってなくても、とにかく叱らずにやさしく接して諭すことを強調する塾もあるようです。
しかし、実際はどうでしょうか?
たしかにヒステリックで常に怒っている先生はちょっと敬遠したいですが、いつもニコニコでどんなことにも寛容的な先生が、生徒の成績をグイグイと伸ばすところはイメージできません。少なくとも私の知り合いの講師には残念ながらいません。
スポーツの世界を参考にすればわかりやすいです。
野球界でいえば、王貞治、落合博満、野村克也、星野仙一。名監督は誰もかれも厳しいです。高校サッカーのテレビ中継に映る全国区の監督も、誰もが厳しそうです(決して失礼な意味ではありませんよ)。駅伝で有名になった青山学院大学のやさしそうな原晋監督ですらも、喝を入れるために選手に嫌悪されるほどの鬼になったエピソードがあります。
厳しさはやさしさの表れとも言いますが、スポーツと似て非なる勉強も自分の限界に挑む段階が訪れます。そんなとき、大きな一歩を後押ししてくれるのは、やさしい天使のような先生ではなく、敵も恐れる武将のような先生です。
中村適塾の中村先生は?
ぜひ会って確認してください笑
参考までに、私が塾講師として手本とする3人の師匠をご紹介します。
一人は、私が中3のときの塾の先生です。
今思い出しても、天下一品の授業でした。上手いです。ものすごく上手い。まさに神授業です。私の中ではダントツの1番の授業なので、ずっとあの授業を目指してきました。もはや比べることはできませんが、いつの日か追いつき追い越せていれば嬉しいです。
二人目は、私が大学生講師のときにお世話になった先生です。
本当は何人もいるのですが、全員をまとめて私の中では一人になっています。ある意味最強の理想の先生かもしれません。学生だった自分が最も勉強になったのは生徒との接し方でした。気さくで面白くも、メリハリがあって雰囲気があり、母性と父性が溢れる信頼できる先生像です。
三人目は、全国的に有名なベテラン個人塾の先生。
20代のとき、勝手に弟子入りしていました。会って話したことは数回程度。塾運営や塾の在り方の面で、一つの最適解だと思っています。複数教室を運営するような大きな塾ではなく、小さな隠れ家的塾にこそできることがあります。目の前のすべての生徒を伸ばすには、柔軟に臨機応変に対応できる小回りが最も大切です。
今回のまとめ
塾を「第二の家」と表現する塾は多いですが、塾の先生自体が子供たちにとって特別かつ特殊な大人です。家族の中のお父さんやお母さんはもちろん、学校の先生も普段の生活の中に溶け込む日常的な大人です。ですが、塾の先生は自ら通わなければ出会うことのない大人であり、勉強のみを接点にもつ専門性の高い大人です。だからこそ、その環境での学びは深く、ユーモアに富むことが多く貴重です。
勉強は結局、「自ら」取り組むべきものです。自分から積極的に勉強する子供はそれだけで一人で生きる力があるといえます。ただし、先導してくれる存在によって、物事はより効果的、効率的になるものです。勉強も同じような面があります。言うなれば、自転車練習の「補助輪」や「誰かの支え」のようなものです。そこには自転車を一人で乗りこなす「きっかけ」が満ち溢れています。
私もそんな、「きっかけ」を生み出せるような存在でありたいと思います。